最近、宝塚もそこそこに、
加藤和樹さんにハマっています。
完全に1789の影響ですね。
最近、3ヶ月待った1789のDVDが
届いて、毎日満たされています。
それで、ひょんなことから
ミュージカル「タイタニック」のチケットを
お譲りいただけることになり、
先日、東京千秋楽を観劇してまいりました。
正直、1回だけの観劇では
わたしには噛み砕けないところが
たくさんあったのですが、
ここに感想を残しておきます。
とりあえず言えるのは、
歌が下手な役者さんが誰一人として
いなくてびっくりした…(笑)
何度も鳥肌が立ちました。
以下、自分のメモ書きを加筆しながら転記します。
まず、開演前から本当に舞台上にアンドリュース(加藤和樹)がいることにびっくり。
前々からそうらしいということは聞いていたけど、いざ生でその状況を見るとびっくりした。
紗幕も何もなく、客席と繋がった空間の中で、黙々と設計図を書くアンドリュース。
一方で、それを当たり前のように受け入れ、開演までの時間を思い思いに過ごす客席。
世界中の人々が生きている中に、世界最大の可動物を造っている人がいて、たまたまそこにスポットライトが当たって、物語が始まっていく…という流れを感じる。
タイタニックのオーナーでありながら、客にまぎれて救命ボートに乗り込み救助されたことを糾弾されるイスメイ(石川禅)。その中でイスメイは、タイタニックが出来た日、出航の日に思いを馳せ、思い浮かぶのは希望の表情に満ちたアンドリュース達の姿…。
アンドリュースとイスメイ、そして船長(鈴木壮麻)以外のキャストは、早替わりをして様々な乗客や乗員に扮する。これについて演出のトム・サザーランドは「着ている服が違うだけで、中身は皆同じ人間なんだ」という意図があると言っている。なので、1回しか観られないわたしは、同じキャストが入れ替わり立ち替わり役を替えて登場していることに気付けるだろうか、ということが観劇前気がかりだった。演出の意図を知ってしまった以上、そのことに気付けないと、作品を理解することはできないと。
結果的には気付くことができたので良かったと思う。
この作品、言ってしまえば第一幕が登場人物紹介、第二幕が氷山に衝突してから沈むまでの人間模様、という構成である。宝塚版「オーシャンズ11」と同じである。そしてその人間模様にものすごくドラマチックな展開がわかりやすく用意されているわけでもなく、割と淡々と事が進んでいくというか、まあ「そういう人もいるよなあ、そうだよなあ」みたいな感じ。
作品全体を俯瞰して観ると、そういう見方になってしまう。きっと、それぞれの登場人物に注目して観ていくと、それぞれに物語はあるので感じ方も変わってくると思う。だけど、現実として1回しか観られない身としては、そういう見方をすることはできない。結果、淡々と事が進んでいるような印象を受けてしまった。
その中で、「自分が死ぬかもしれない」状況で人間の醜さがあからさまに出ているのが、アンドリュース、イスメイ、船長のいさかいの場面。大人の責任のなすり合い。3人にはそれぞれ責任はあるけれども、あの物語の中では、イスメイに一番問題があるなと感じた。一番最初にイスメイがスピードアップしろと言わなければ、この事故は起きなかっただろうから。乗客の間であまりいさかいが無かった分、この3人の言い争いがより醜く際立った。
船は沈む、そして救命ボートは足りない、という現実の中で、女子供を優先した結果、船に残った男たちとストラウス夫人(安寿ミラ)。重い空気や悟りが立ち込める中で、唯一明るさを取り戻したシーンが、船長とベルボーイ(百名ヒロキ)のやり取り。
「君はいつも溌剌としてるね。いくつだ?」
「14歳です、船長」
「そうか、私が14歳の頃は給仕係だった」
船長の目が潤んでいた。この瞬間、一番船長が船長としての責任を、実感を持って噛み締めたんじゃないかなと思った。この子にだって、いつか船長になるかもしれない未来があるはずなのに、この子は今自分のせいで死んでゆく。ベルボーイが明るく純粋なだけに切ない、胸が苦しくなる場面だった。
わたしが何より忘れられないのは、本当に船が沈むというその瞬間のアンドリュースの場面。
「セットが傾いた!」という衝撃もなかなかだったが、強く印象に残ったのはその時のアンドリュースの行動。
アンドリュースはそれまで、イスメイや船長とのいさかい以外は比較的冷静で、氷山に衝突する前から頻繁にメモを取り、衝突してからも落ち着いていた。
「タイタニックは沈みます」の一言にそのすべてが詰まっている。彼はすべてを理解し、悟り、船と運命を共にする、つまり死ぬ覚悟を決めているかのように見えた。
それなのに、彼は船が沈みゆくその刹那、手すりにしがみつき、そしてその手すりを乗り越え抗うような行動を見せた。覚悟を決めている者らしく、静かに死んでいくと思っていた私は、その姿にとても衝撃を受けた。彼に残る「死にたくない」という本能が、最期に垣間見えた瞬間だった。
死ぬ場面こそ主役のように見えるアンドリュースだけど、実際は群像劇で、ほとんど主役感はない。以前「1789」を群像劇だと感想に書いたけど、それの比じゃないくらいの群像劇だった。正直アンドリュースを主役に据えた理由が未だわからないくらいには群像劇だ。
本当なら何度も何度も見て、その度自分の中で中心に据える登場人物を変えて、じっくり観たい。でも映像化はされないし、再演されるかもわからない。だからそれが残念でならない。
また再演される時が来たら、主演が和樹さんじゃなくても、観に行けたらいいなと思う。